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Boe Wien News Blog

オフィスボウ・ウィーンの最新ニュースと、
世界各地で起きている出来事について語ります。
2019年 謹賀新年!

| - | 13:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
2018年春までを振り返る(その2)

報告を続けます。2017年の7月は機材を担いでウィーンからブダペストへ列車で向かいました。世界水泳選手権の報道取材です。カメラ、音声、照明を一人で担当しました。ハンガリーは温泉や温水プールの施設が充実しています。水泳の国際大会に必要なプールやプレスルームや記者会見場などのインフラがきちんと整っているのがとても印象的でした。写真は競泳が行われたアリーナのプールです。会場の盛り上げ方や訪れる観客へのサービスも充実していました。いずれはオリンピックも開催されることでしょう。

 

 


 

9月から10月にかけては卓球の取材をするためにドイツへ出かけました。プロの卓球ブンデスリーガでプレーする村松雄斗さんの活躍を追いました。ドイツは中国、日本と並ぶ卓球大国。サッカーと同じようにブンデスリーガ(プロの卓球リーグ)があるため世界中から実力ある選手が集まっています。村松選手の所属するチームには、彼以外にも世界のトップ20に入る選手が2人も所属していました。村松選手は女子の平野美宇選手といとこ同士です。東京オリンピックで二人揃っての活躍が期待されています。

 

 

12月には再びスキーシーズンが開幕しました。向かったのはオーストリアのスキーリゾート、クータイです。パラアルペンスキーのワールドカップに参戦する三澤拓さんを取材しました。パラアルペンスキーは第2次大戦後に腕や足を失った退役軍人らが始めたとされています。元々アルペンスキー競技が盛んだったヨーロッパの各国で普及し今では日本でもポピュラーな競技となりました。チェアスキーという座位(座った状態)で滑る選手が多い中、子供の頃の事故で左足を切断した三澤選手は立位というカテゴリーで、片方の足1本のスキーで滑ります。取材中のレースではアイスバーンで転倒しインスブルックの病院で手術を受けることになりましたがその後見事に復活。ピョンチャン・パラリンピックでも日本代表チームの一員として活躍しました。ファインダーを通して伝わってきた三澤選手の不屈の闘志に私も大いに勇気づけられました。

 

 

2017年から2018年にかけては、他にもオーストリアの国母と慕われたマリア・テレジアの生涯や世界遺産として知られるウィーンの旧市街の取材や国立バレエ団の取材なども並行して行いました。今ウィーンは長い冬が明けて桜の季節を迎えています。これから1年のうちで最も美しい季節を迎えるウィーンで皆様とお会いできることを心より願っています。

 

| - | 23:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
2018年春までを振り返る(その1)

今日は2018年4月9日です。前回の更新が2016年の暮れですから随分と時間が経ってしまいましたが早速ご報告いたします。2017年はスポーツ番組の仕事が多い1年でした。NHK BS1のシリーズ「挑戦者たち」のチームの一員(ディレクター)として4本の番組を製作しました。1月、最初に向かったのは北イタリアの南チロルです。山間の小さな村にあるスキー学校に通う日本人女子高生(当時)の堀田璃苑さんを取材しました。写真は堀田さんのヘルメットに装着したGopro映像をチェックしているところです。堀田選手はその後帰国されて大学生スキーヤーとして活躍しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ワールドカップなどスキーのシーズンは毎年11月から3月くらいまで。一般的にイースター休みまでは滑れるというのが常識です。そんな中、3月のシーズン最後に行われたジュニア選手権に挑戦する日本人高校生の加藤聖五さんを取材しました。加藤選手はオーストリアのシュラードミンクにあるスキー専門学校に留学しスキーの技術を磨いています。次世代を担う日本人選手たちが単身ヨーロッパで研鑽に励んでいる姿はとても印象的でした。

 

4月にはバルセロナへ飛びました。近郊のバルベラという町でリンクホッケーのプロリーグで活躍する西村勇希さんを取材しました。リンクホッケーはローラースケートを履いて戦うホッケーでローラーホッケーとも呼ばれます。陸上ホッケー、アイスホッケーと並ぶホッケー競技ですが、スペインではプロリーグが人気を集めています。サッカーで世界的に有名なバルサにもリンクホッケーのチームが存在しているほどです。バルセロナオリンピックでは公開競技にも採用されました。西村選手は日本でトップの実力を持つ選手ですが、より強い相手を求めて本場のバルセロナに渡りました。写真はバルベラのリンクホッケークラブの集合写真です。子供の頃から親しんでいる様子がわかりますね。

(その2へ続く)

| - | 15:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
2016年暮れまでを振り返る

きょうは2016年12月30日。やっと少し落ち着いて、これまでの出来事を振り返る気分になりました。(笑)

 

2015年から2016年にかけて、オフィスボウ・ウィーンではリサーチ関係の仕事を多く手がけました。テーマは様々です。世界中から集めた珍しい映像の著作者を捜す私立探偵の様な仕事、アドルフ・ヒトラーの思想的足跡を辿る歴史学者の様な作業、自然現象について天文台の専門家と共に調べる科学者の様な調査。それぞれ刺激的でかつ勉強になるリサーチでした。

 

2015年春には陸上競技の撮影に出かけました。日本ではあまりポピュラーではない10種競技(デカスロン)の大会です。男性が参加する10種競技(女性は7種競技)は2日間かけて行われます。1日目が100m走、走り幅跳び、砲丸投げ、走り高跳び、400m走で、2日目が110mハードル、円盤投げ、棒高跳び、やり投げ、1500m。これらを全部競うだけでも気が遠くなりそうですが、それだけに10種競技の勝者は陸上競技の王者として尊敬を集めます。ドイツやフランスを始め欧州ではとてもポピュラーで、大会を追いかけてあちこちに出かけるファンもいるほどです。5月下旬、オーストリア西部のゲッティスで行われた大会に参加した日本人、右代啓祐選手を取材しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年春から夏にかけては、他にベルリンでワークショップを行うダンサーの菅原小春さんや、オーストリアのホルンでサッカーチームの経営に乗り出した本田圭佑選手など、ヨーロッパで挑戦する日本人を追跡取材する企画に参加しました。さらに夏から秋にかけては新企画の仕込リサーチに汗をかきました。こちらもヨーロッパで活躍する日本人のストーリー。戦後70年を迎えると共に、海外で活躍する日本人への関心が高まっている事をうかがわせました。一方で9月にはオフィスボウ・ウィーンでは初めてFM放送の取材に参加させて頂きました。音楽家とキャスターがウィーンを訪れ音楽やカフェからファッションまでウィーンの魅力を伝える特別番組でした。

 

11月にはヨーロッパ各地で熱心に仕事に取り組む職人たちを取材することになりました。宝石店や文具店、サーカスの芸人や煙突職人など。ところがロケの直前に大変な事件が起きました。パリの大規模テロ事件です。(11月13日)その日からパリは危険地域となり、それまで積み上げたリサーチやロケの準備が吹っ飛びました。翌日から緊急リサーチが始まり日程の変更などの対応に追われました。もはやヨーロッパに安全な街は無い。そんな時代の始まりを予感させる出来事でした。

 


 

2016年も年明けから様々なリサーチ案件に追われましたが、特に忙しくなったのは3月です。

 

北欧諸国を取材して2度に渡りパリから東京へ映像を伝送することになりました。取材テーマは「ベーシックインカム」。AI(人工知能)が人間に変わって仕事をこなすようになる近未来、無職でも暮らして行けるように国民全員に生活出来るだけの最低賃金を国が支払うようにしよう、というアイデアです。その代わり年金などの社会保障を無くそうというもので国の財政のためにも有意義だというのです。

 

スイスではその是非を巡って6月に国民投票が行われることになっていました。結果は否決されましたが、ベーシックインカムに肯定的な人々は「自分の時間を犠牲にして賃金を得る状態を無くし、失業保険をもらう惨めさからも解放される唯一の方法」として真剣に議論を重ねていました。また、スウェーデンでは就業時間を減らす事で失業者を無くす試みを取材しました。どちらも福祉先進国と言われる国々での取材でしたが、ヨーロッパ人が「次の政治システム」を模索している様子を肌で感じることが出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年の春から夏にかけては、オーストリアで活躍する日本人サッカー選手を取材しました。本田圭佑選手が経営するSVホルンの榊翔太選手です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

企画取材から放映まで1年というプロジェクトになりました。また、この時の取材が縁で、本田圭佑選手のインタビューを担当することになりました。そして、こうした取材を通じて自ら撮影する機会も増えて来ました。

 

まだまだ進行中の企画もたくさんあります。2017年はプロデューサー/ディレクターとして、だけでなく、カメラマン/リサーチャーとしてもさらに飛躍の年にして行きたいと思います。

 

取材でお世話になりました皆々様、そしてこのブログを読んで下さった皆様のご多幸をお祈りいたします。

どうぞ良いお年をお迎え下さい。

 


 

| - | 21:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
2015年春までを振り返る
前回の記事が2012年9月ですから2年8ヶ月ぶりに書いています。
忙しかったからと言えば言い訳になりますが、今後はもう少し短いスパンで更新を重ねたいと思います。
映像の仕事をしていると「前のめり」と言いますか常に先のことを考えながら過去を振り返らずに進んでしまいます。
一方、現在形の話はfacebookやmixiで事足りてしまうので、こうした「仕事のブログ」は更新が滞ってしまいがちです。
それでも最近このホームページをきっかけに仕事のご依頼を頂くことも増えていますので、ブログの方も復活させようと考えています。
改めてよろしくお願いいたします。

シリア400

2012年の後半は二つの印象的な仕事を手がけました。
ひとつはウィーン在住の高校生の目線で舞踏会やオペラの文化を紹介する番組。もうひとつはシリア反体制派の市民が撮影した映像を番組にまとめる仕事です。特にシリアの番組は、後にニューヨーク・フェスティバルズの金賞を頂くことになりました。
http://www.newyorkfestivals.com/tvfilm/main.php?p=3,1&wp=info&id=413514
関係者の皆様と共に受賞への感謝の気持ちを表明し、一日も早いシリアへの平和の訪れを祈ります。
サッカー02ドナウ400

2013年は年間を通じてサッカー関連の取材を多く手がけました。
ウィーンからは東欧の中でも旧ユーゴ圏(セルビア、クロアチア、モンテネグロなど)の強豪チームを取材する機会に恵まれました。
またルーマニアとウクライナの国境地帯に暮らす人々を取材しました。
当時はまだ平和でしたが、その後ウクライナが内戦状態に陥ったことを考えると複雑な心境です。
夏には中国の大気汚染について取材しました。
それぞれの国に共通していたのは、平和な発展と安全な暮らしを願う人々がたくましく生きていることでした。

中国400

2014年、ヨーロッパは第一次世界大戦から100年という節目の年を迎えました。
日本では消費税が8%になり景気の動向が最大の関心事となりました。
ブラジルではサッカーのワールドカップが開催され多くの視聴者をテレビに釘付けにしました。
そんな中、オフィスボウ・ウィーンでは「ベルリン国立歌劇場の修復」や「ドイツに亡命したアフガニスタン人」、また「トルコへの武器輸出」や「核の非人道性に関する国際会議」などの取材を手がけました。

ベルリン4002ベルリン4003

そして2015年、世界も日本も第二次世界大戦終結から70年の節目の年を迎えます。
戦後の世界の枠組みが冷戦の時代を終えて大きく変わって行く中で、
映像の果たす役割と責任はますます大きくなることでしょう。
今年も映像の仕事を手がける様々な世代の方々と一緒に歩んで行きたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
 
| - | 19:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
2012年夏までを振り返る
2012年も、もう9月を迎えました。
今年は特に「大きな時代の変化」を毎日のように感じます。
ホームページの更新がそれに追いつかない状況ですがご容赦のほどを。
さっそく今年の仕事を映像で振り返ります。





最初の仕事は東日本大震災と福島原発事故の被害についての取材でした。
2月に初めて現地に入って被害の凄まじさを体感しました。
人間の仕業ではあり得ない光景が各地で見られました。
1年近く経過しても手をつけられないのが現状でした。
福島の農家の方と漁師の方を取材しました。
「一刻も早い対策を」と訴えていらっしゃいました。







5月にはイタリアとオーストリアの各地を取材しました。
脱原発社会をどのように具体化するのか?
去年の秋に取材したバイオマス・エネルギーの続編として、
ヨーロッパにおける森林資源の活用についてさらに取材を進めました。
今回のテーマはCLT(Cross Laminated Timber)という建築資材について。
石の街ヨーロッパで起きている木造建築の現場を訪ねました。



6月は熊本の水俣を訪れました。
水俣病の公式確認から56年、
国は認定申請を締め切ることにしました。患者の団体からは反発の声が上がっています。
 
 
かつて公害を流し続けた企業チッソは裁判確定までその事実を認めませんでした。国と企業は被害者とどう向き合うのか。半世紀以上の時を経て、いま水俣と福島が響き合います。

取材中、水俣病の患者を診断し続けて来た医師の原田正純さんが亡くなりました。50年以上に渡り、一貫して患者の側に立ち診療活動を続けた素晴らしい方でした。
 
ご冥福をお祈りいたします。











2012年夏、日本では一般市民が「原発・是か否か」という、
子どもたちの将来をかけた大きな問いに向き合う季節を迎えました。
原発再稼働に反対する総理官邸前での抗議行動が6月から大きな社会現象になりました。
原発を重要なエネルギー源として温存するか、新たな脱原発社会に向かって歩み始めるのか。
総理官邸前では今も毎週金曜日の抗議行動が続いています。



今年も後4ヶ月。
私たちは様々な角度から取材を続けます。
 
| - | 18:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
2011年大晦日を迎えて
 大きな波乱の年となった2011年もきょう大晦日を迎えました。
私はオーストリアのアルプスのふもとで年の瀬を迎えています。
雄大な風景が静かな祈りに包まれているようにも見えてきます

langbatsee


戦後最大の惨禍となった東日本大震災と福島第一原発事故で日本は大きく揺れました。
「311以前と311以降は全く世界が変わった・・・」ともよく言われます。
でも、この言葉を良い意味にするか悪い意味にするかは、明日以降の2012年に我々日本人ひとりひとりがどう行動するかにかかっていると言えるでしょう。

「誰かが上手くやってくれる」ことも「偉い人たちが考えてくれる」ことも無い。
我々は自分たちの安全や、安定した生活、幸せな人生、子どもたちの未来のために、もっと自分たちで考えて行動するようにならなければなりません。

これまでも様々な番組を通じて色々なメッセージを発してきたつもりですが、私もこれからはもっともっと精進して、質の良い情報だけではなく、より良い社会を作る参考になる情報を、少しでも日本の未来のためになるような番組作りを目指して行きたいと思います。

戦争や災害が起きるたびに、報道の無力さも噛み締めてきましたが、もう一度気を引き締め直して、2012年がより良い年になるように頑張ります。

皆様、どうぞ良いお年をお迎えください。
アルプスのふもとより祈りを捧げます。

lamp
| - | 19:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
オーストリア・バイオマス事情
 オーストリアのバイオマス事情を取材することになり、10月はほとんどその仕事に没頭しました。オーストリア全土を3000キロに渡って駆け巡りあちこちで面白い話を聞きました。

アルプスと森林


森林国オーストリアでは、いま天然ガスなどからバイオマス・エネルギーへの転換を国を挙げて行っています。きっかけはロシアによるウクライナへの「天然ガス 供給停止事件」でした。日本では今ひとつ詳しく報じられませんでしたが、あの時ヨーロッパは大騒ぎになりました。同じパイプラインを使っていたためヨーロッパへの 供給量にも影響が出たからです。暑さは我慢できても寒さは我慢できない。で、オーストリアは凍死する恐怖からエネルギー自立の模索を始めた、という わけです。

その後、中東からの石油が値上がりしてヨーロッパ社会を直撃。背中を押されるようにして始めたのがバイオマスの本格的な導入でした。オーストリアは電力に 関しては水力がトップを占めています。でも電気は無くてもろうそくで何とかなるが暖房が無ければ死ぬ・・・という共通の認識があるようです。そこで国も自治体も企 業も国民も一緒になってエネルギー改革を進めたそそうです。

ラムザウフカン

その結果ここ10年で様々な技術が進歩しました。マキを熱してガスを発生させる技術、そのガスを燃やして暖房する技術。それからペレットと呼ばれる弾丸のような小さなマキの開発。これは今まで捨てていた木クズから出来ています。これらが暖房だけでなく火力発電のエネルギー源となるわけです。

日本でも京都議定書以降CO2を減らすためにバイオマスが研究されて来ましたが、成果を上げるには至っていません。フクシマ以降「脱原発」が叫ばれるようになりましたが、オーストリア同様豊かな森林を抱える日本ももっと森林の活用を考えたらどうでしょうか。今回の取材を通してそう思いました。

オーストリアの森林
| - | 04:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ウィーンの秋
8月の中旬からウィーンにいます。
ウィーン事務所の中庭にある桃の木が実を付けました。

ウィーン事務所の桃01

オーストリアの桃は日本に比べて小ぶりです。
割ると中は黄色の桃、子どもの頃デルモンテの缶詰で食べたあれです。
あの大きさと黄色。

夏にはスーパーで6個200円位で売っています。
日本に比べてフルーツは安く手に入ります。


ウィーン桃03
























でも中庭でこれだけ収穫できれば買わないでいいかもしれませんね。(笑)

9月になるとウィーン市内の公園で秋の収穫祭が行われます。
自然の恵みに感謝しつつ、行く夏を惜しみながらの「秋祭り」です。

やがて10月になるとカボチャの季節。
ハロウィーンはアメリカの風習ですが、こちらでも万聖節(11月1日)に向かって室内にカボチャを飾り、カボチャのスープを食べるようになります。

こうして少しずつ長い冬へと向かって行きます。
| - | 19:53 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
息子へ語る広島の記憶
 オフィスボウ・ウィーンの新しい作品をご紹介します。

報道ステーションのシリーズ企画「戦争の話を聞かせてください」の第3回、「息子へ語る広島の記憶」を担当しました。今回「戦争の話」を聞かせてくださったのは、広島在住の河内光子さんです。聞き手は息子の邦博さんが務めてくれました。

河内さん親子


















光子さんは13歳の時に被爆。学徒動員で鉄筋の建物の中にいたため助かりました。避難中に立ち寄った橋のたもとにいるところを、報道カメラマンの写真が捉えています。写真は被爆直後の市内の惨状を伝える貴重なものとして保管されています。番組では、河内さんが写真に捉えられるまでの体験を語ってくれます。

ベンチのバックショット
取材当日の広島は「あの日」のように晴れ渡っていました。とても暑い夏日が続いていて少しずつ、休み休みのロケとなりました。

光子さんは79歳とは思えないほど若く張りのある声で、当時の鮮明な記憶を語ってくれました。

話の内容はとてもリアルで、改めて戦争の惨禍を考えさせてくれる番組になりました。



















下はロケ場所となった広島の平和記念公園です。
正面入り口から慰霊碑に向かうと、アーチ型の慰霊碑の向こうに原爆ドームが見えます。
毎年8月6日にはここで式典が開かれますが、今年は特に福島の原発事故があったために、市長が発表する「平和宣言」にどのような話が盛り込まれるか注目されています。


平和記念公園

この番組は8月5日(金)の報道ステーションの中で、特集として放送する予定です。
ぜひご覧ください。







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